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見えるままを記録する工夫
=写真技術(1)=

見えるままを記録したい!

目の前に広がるすばらしい風景、子供の成長。目に見えるものを見えるままに記録に残したいという気持ちを持ったことがあるはずです。

文字がなかった時代にも 動物や人々の生活を描いた岩絵等が残っています。しかしながら絵として残すことは必ずしも簡単なことではありませんでしたし、また誰もがすぐに出来ることではありませんでした。

最近では技術進歩により、白黒画像ではなくカラーの画像を、また静止画だけでなく動画も簡単に撮影・記録することが出来るようになりました。専門家や高度の知識を持った人だけのものであった記録技術/写真やrデオが、誰にでも使える技術になりました。

「見えるままを記録したい」という夢を実現するために先人が競い努力した果実を私たちは享受しています。彼らの工夫やアイディア発想のプロセスを振り返って見ることは現代に生きる私たちにとってもすばらしい追体験になるのではないでしょうか?


サハラ砂漠南部(マリ国 Adrar des Iforas)の岩絵


文字がなかった時代の動物や人々の生活を描いた岩絵等が残っています。しかしながら絵として残すことは必ずしも簡単なことではありませんでしたし、また誰もがすぐに出来ることではありませんでした。

サハラ砂漠南部のマリ共和国の岩に刻まれた岩絵です。キリンの絵が岩に線画として彫り込まれています。毎日強い日差しにさらされていますが、数千年の年月消えずに残ってきたものです。サハラ砂漠がまだ緑豊かで動物もたくさんいた時代のものです。 このあたりにはキリンだけでなくいろいろな動物の絵が多く残っています。


光が当たると変化する物質
昼間の太陽に肌をさらすと、日焼けすることからも分かるように、光が当たると色が変わる物質があることは古くから知られていました。1世紀頃の記録にも銀の塩化物の感光性について書かれたものがあるようです。
しかしながら、太陽の「熱」ではなく、「光」により物質が変化するということが初めて確かめられたのは1727年、シュルツ(独)による硝酸銀の感光性の実験です。

見えるままを模写する装置 カメラオブスキュラ
レオナルド・ダビンチ(1452-1519)の時代にはカメラオブスキュラ(暗箱)と呼ばれる外の画像を小さなピンホール(小さな穴)やレンズを通して半透明のガラスに映し出し絵を描くために使われた道具はすでに存在していました。
この装置は見えるままを模写し、絵として描くための補助的な道具として使われてきました。見えるものをよりリアルに描くために暗箱の中に画像を映し出しながら景色などを模写しました。しかしながら、「みえるまま」の画像をそのままに残す(記録)することはこの段階では出来ませんでした。

映し出した画像の保存(定着)に困難!
景色や人物の姿などを記録するには、更に、感光した画像を定着し記録するための技術が不可欠でした。画像を定着することが出来る写真が登場するのはシュルツの硝酸銀の感光性の発見からさらに100年が必要でした。
多くの人が画像を定着する試みをしました。陶器で有名なウェッジウッドの創業者の4男のトーマス ウェッジウッドもその一人です。彼は画像を硝酸銀紙に写すことには成功しましたが、長くその画像を記録する(定着)は出来ませんでした 画像の定着への突破口を開いたのはフランスのニエプスでした。

アスファルトに光が当たると堅くなる性質を利用して画像を保存(定着)!
1826年、フランスのニエプスはこの暗箱で捉えた画像をアスファルトに写し取り、アスファルトの光に当たると堅くなる性質を利用し、堅くなった部分を残し、柔らかい部分を溶剤で洗い流すということで画像を定着しました。

露光時間はなんと6−8時間!
このアスファルト写真が現存する最古の写真と言われています。1枚の写真を撮影するために露光時間として6−8時間を要したそうです。しかもこの写真はあまり鮮明なものではありませんでした。

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