企画展展示紹介
   
   

ペンシルロケットから小惑星探査機「はやぶさ」へ

日本の宇宙開発は1955年、わずか23cmのペンシルロケット発射から始まりました  1955年、わずか23cmの鉛筆の様なロケット(ペンシルロケット)の水平発射実験が行わ
れました。日本の宇宙開発はここから始まりました。これを指揮したのが「日本のロケット
開発の父」と呼ばれる糸川英夫博士です。

ペンシルロケットが1970年の日本初の人工衛星「おおすみ」や、小惑星探査機
「はやぶさ」に繋がりました
日本初の人工衛星「おおすみ」により日本は、ソ連、アメリカ、フランスについで世界で
4番目の人工衛星打ち上げ国となりました。更にペンシルロケットから始まった日本の
固体燃料ロケットは、1998年の火星探査機「のぞみ」や2003年の小惑星探査機
「はやぶさ」(2010年6月にサンプルリターンカプセル回収成功)等に繋がりました。

 
   

宇宙開発をJAXAに一本化
一方、1969年に大型の液体燃料ロケットによる実用(商用)人工衛星の打ち上げを目指して、宇宙開発事業団が設立されました。ここで開発された大型液体燃料ロケットは、通信衛星や国際宇宙ステーションに物資輸送等をになう「こうのとり」(H2Bロケットによりの打ち上げ)等の打ち上げ等に繋がっています。2003年10月、日本の宇宙開発は3機関を統合しJAXAとなり、一本化されました。

   
   

ペンシルロケットから小惑星探査機「はやぶさ」へ(ロケット開発の流れ)

【1955 年3 月〜 8 月 (ペンシルロケット)】
ペンシルロケット 初期のものは23cmで水平発射。その後2段式ペンシル(46cm)や、少し大型化したペンシル300型の実験が
行われた。
8月に行われたペンシル300型で斜め上方への打上げが行われ、上方600m、水平距離700m、燃焼時間16.8秒を達成した。

【1955 年5 月〜 11 月 (ベビーロケット)】
8月にSベビーロケット(計器類を載せないシンプルのS。1.24m、到達高度 6Km。)
9月にTベビーロケット(テレメーターのT。計測器によって高度, 加速度, 速度, 温度などを測定。2段式。1.34m。到達高度6Km。)
10月〜11月 Rベビーロケット(落下傘と浮輪を搭載、回収を行った。カメラを搭載した。2段式。1.34m。到達高度 6Km。)

【1956 年〜 1988年(カッパロケット:K型ロケット)】
K-1ロケット1956年9月〜12月 到達高度 5Km。K-2ロケット1957年4月 到達高度 9Km。K-3ロケット1957年5月〜6月本格的
な2段式。到達高度22Km。その後、多くのK型ロケットが開発されK-6ロケットで1958年9月に高度50Kmを達成。
K-8ロケットでは1962年に高度200Kmを超えた。K-9Lでは日本で初めての3段式ロケット1961年4月には高度300Kmを超えた。
K-9Mが標準型の観測ロケットとして導入され、1962年〜1988年までに81機が打上げられた

【1960年〜1970 (ラムダロケット:L型ロケット) 】
1960年に高度1,000kmの内側ヴァン・アレン帯に届く観測ロケットシリーズとして立案され、カッパロケットに続くものとして
"L-計画" と名付けられた。
1970年2月11日に L-4S 5号機において日本初の人工衛星「おおすみ」打上げを成功させた。

【1966年〜2006年(ミューロケット:M型ロケット)】
ミューロケットシリーズはペンシル,ベビー,カッパ,ラムダに続く日本独自の固体ロケットシリーズ。人工衛星の打上げによって
宇宙開発を本格的に推進する為に開発。26機の科学衛星を打上げ、世界の宇宙科学の発展に大いに寄与したが、2006年
のM-V 7号機の打上げをもって引退した。ミューロケットの後継ロケットとしてイプシロンロケットの開発が、簡素で安価で
即応性が高くコストパフォーマンスに優れたロケットを実現することを目的に行われている。

 
 
 
   

アポロ17号が持ち帰った「月の石」 NASA標本番号 70035.41

今年はアポロ計画で最後の月探査船アポロ17号が1972年12月に、月に行ってから
ちょうど40年。今夏の宇宙科学館の企画展「飛び出せ! 宇宙へ!」では、最後の
有人月探査船アポロ17号が地球に持ち帰った「月の石」を展示しています。
NASAから借用したものでイルメナイト玄武岩(Ilmenite Basalt)という鉱物でチタン
を多く含む「月の石」(NASA標本番号70035.41、118.062g)の本物です。展示用に
四角錐のアクリルに埋め込まれています。
この石は37億年前に形成されたものだそうで、分析の結果、1億年くらいは月の表面
にあったものだということです(地中に埋まっていたものではない)。

 
   
 
   

Bion 9号

Bion 9号は1989年9月に、旧ソ連、アメリカ、ハンガリー、旧東独、カナダ、ポーランド、
英国、フランス、ルーマニア、旧チェコスロバキア、ESA(欧州宇宙機関)が、宇宙環境
が生物に与える影響を研究するために国際共同研究の一環として打ち上げた生物学
実験衛星です。
今回、佐賀県立宇宙科学館の夏の企画展「飛び出せ! 宇宙へ!」では、2週間に
わたる宇宙滞在を果たし、無事回収された帰還船の実物を展示しています。大気圏
への再突入による摩擦熱で黒く焼けこげています。
Bion 9号には アカゲザル2匹、実験用ネズミ(ウイスターラット)10匹ほか、両生類、
魚類、昆虫、ミミズ、植物等が研究のために搭載され、回収されました。

 
   

Bion計画では、1973年から1996年までの間に生物学実験衛星11機が打ち上げられ
ました。1971年、旧ソ連とアメリカの間で、宇宙開発について協力関係を持つことを
規定した合意文書が調印され, 旧ソ連はアメリカに、旧ソ連が打ち上げる生物学
実験衛星にアメリカの実験ペイロードを搭載することを提案し、1975年に最初の
アメリカも加わった実験(Bion3)が開始されました。
この実験に用いられた衛星がBionです。
実験の内容は、無重力への生物の適応や、放射線が生物に与える影響の調査など
多岐にわたるものでした。衛星の打ち上げは平均して2年に1回という緩やかなペース
で行われ、Bion 5号までは主に小動物や植物・微生物を使用していましたが、6号以降
ではサルが実験動物として加わりました。